
香港は、1997年に特別行政区となってからもどんどん活気や盛り上がりを見せている街。
しかし、人口増加が激しく、1平米あたり約5万人と東京で最も人口密度の高い豊島区の約2万人の倍以上です。
そんな香港の人口密度状況について詳しく見てみましょう。
人口が多いイメージの街、香港
街の歩道は、一列になって縫って歩かなければならないぐらい人があふれかえっている香港。
朝は早くから、公園にはお年寄りがあふれ、幼稚園は「午前の部」と「午後の部」に分けなければ子供たちを捌けないないほど、老弱男女、とにかく人が多いイメージの香港ですが、実際のところの人口はどのぐらいなのでしょうか。
今回はそのあたりを掘り下げてみたいと思います。
香港の歴史から人口構成を紐解く
香港が街としての働きをする以前、ここは中国広東省の、片田舎の港町でした。
それが東インド会社の入港、アヘン戦争、イギリス人の入植と、目まぐるしく歴史に翻弄され、1898年から1997年のイギリス植民地となりました。
イギリスの植民地時代は香港居民であれ英国民ということで英国パスポートをみなが持っていました。
その時代は多くのイギリス人が居住し、香港はイギリス人と香港ローカル人、そして上海や潮州地方から逃げてきた中国本土の人でほぼ構成されていました。
中国本土が文化大革命を行い、それに危機を抱いた大陸出身者が命からがら逃げて来て、香港という自由の地で勤勉に働き、巨額の富を築いた武勇伝が、香港には多数あります。
そして、多くの英国植民地だった国にありがちですが、同じく英国領土だったインド人を、召使いとして連れてくるような風習が多くありました。
インド人や、お隣のネパール人が香港に多く住んでいるのはその時代からの流れだというのも理解できます。
また、インドが英国領土から外れたのちは、召使いやレストランの店員として、インド人の代わりに、インドよりもさらに香港へ来港しやすい地域、フィリピンやインドネシアの人々が出稼ぎとして多く採用され、香港の地に来港してきました。
今でも、フィリピン・インドネシア・マレーシアなどの国々から、家政婦や肉体労働者としての特別なビザ(それらの決められた仕事しか付くことができない、条件が複雑にある特殊なビザ)で香港に多くの人々が滞在しています。
1997年以前は、ほぼこのような人口構成をなしていました。
(このほかに、日本人や欧州各国の駐在員も、各国数万人ずつ住んでいました)
しかしこの後、香港が英国から中国へ返還されます。
返還前から、中国の偉い人(共産党の幹部など)が香港に住んでいたことはあったようですが、通常の中国人(一般市民)は、よほどのことがない限り(香港人と結婚して何年か経過していたりだとか)香港に住むことが許されていませんでした。
しかし、返還後は、条件付きとはいえ、香港も中国領土の一つ、ということになり、中国大陸の一般市民も、富やコネや学歴や専門知識など、香港にとって利点の多い人材要素であると判断されれば、香港への移住は比較的たやすくできるようになりました。(この「富」というところがなかなかハードルの高いところですが)
その「ハードル」も、返還以後、年々下がる傾向にあり、今や、香港ローカル居民の優先されるべき場所である香港の公共団地(政府のアパート)でさえ、中国からの移住者であふれかえっているような状態のようです。
というように、最近の人口構成は、入植していた英国人が香港外に離れてしまった代わりに、いえ、それどころではなく、その当時の英国人人口をさらに上回るほどの中国大陸人の移住によって、年々爆発的にその人口を伸ばしている昨今なのです。
返還後20年の人口推移
さて、それでは、1997年の中国返還以後の香港の人口がどれだけ増え、人口密度がどのくらいなのかをご紹介しましょう。
IMF – World Economic Outlook Databasesの2019年4月のデータによりますと、今現在の香港の人口はおよそ755万人だといいます。
1997年の数値がおよそ652万人ですので、中国への返還後、およそ100万人の人口増ということになります。
100万人といったら、仙台市や広島市の人口と大差がありません。わずか22年の間に、「仙台市一個分」の人口が増えてしまったのです。
面積はといえば札幌市とほぼかわらない香港なのですが、人口はなんと、札幌市の人口の3.8倍にも及ぶのです!
人口過密エリアに異変
かつては、香港島の中でも北角や太古、そして九龍エリアのホンハムや佐敦のあたりでも、比較的リーズナブルに、ある程度のマンションに入居ができました。
2005年あたりで、だいたい月の家賃で7,000HKD(当時で約7万円)程度支払えば、まずまずの2DKに住めたのです。
ところが、中国大陸からのマンション投資のあおりを受け、どんどん不動産が値上がりし、今やそれらのエリアでそんな金額では住まうことが到底できません。家賃は当時の約二倍程度まで値上がりしてしまったのです。
そのような背景もあり、中心地に家を借りていた人々が、新界の、しかもかなり果ての方に、住居を移動する人が増えました。
元朗(ユンロン)や屯門(チュンムン)といったエリアは、かつては好んで住まわれない地域でしたが、今では「家賃が安く」「西鐡線が便利になって」通勤にもストレスが少ないため、それらの街が今や大人気となっています。
そして、かつては普通に、少しだけ稼ぎの良い香港ローカル人が住んでいたような、ホンハムや太古のマンションは、今や中国大陸からの移住者の家族が多く住まう結果となっているのが現状です。
また、政府のマンション(Government Apartment:日本の公団のようなもの)は、比較的辺鄙な場所にある場合が多いのですが、それらのアパートへ出戻る若い夫婦なども後を絶ちません。
昔の香港は、そのような狭いアパート(だいたいが狭い2DKぐらいの間取りで、面積もわずか20~30平米程度のところが多い)に家族4人~5人が一緒に住んでいるというのが一般的でした。
ところが、子供が大きくなり結婚し、独立してアパートを借りて、実家から出ていくというパターンが多かったのですが、この住居の高騰下、年老いた両親の面倒を見るという意味もあり、再び狭い団地へ、自分たちの子供を連れて出戻ったという話を何人かから聞きました。
このように、1997年以降、増え続ける中国大陸からの移民が、かつて香港ローカル人が住んでいたエリアに徐々に入り込んでいき、もともと住んでいた人たちは、都心から少し離れたエリアや、政府のアパートに移り住んでいっているという流れになっています。
香港に危機!?これからもますます増え続ける香港の人口と人口密度
IMF – World Economic Outlook Databasesの資料によりますと、この先5年間の人口推移の予想として、2024年には、香港の人口は7,800,000人まで伸びるのではないかというデータが出ています。
今まだ、香港には埋め立て地域や、新界の未開地など、開発可能なエリアが沢山あります。
それらの地域を切り開き、まだまだ香港には高級なマンションや、ビレッジハウス(欧米人の駐在員などが好んで住んでいるのですが、低層のテラスハウスのようなアパートです。都心にはなくむしろ緑豊かなエリアに立っていることの方が多いです)を建てられる場所が多々存在するのです。
ただ、そのような開発された新築マンションは、もちろん、凄まじく法外な価格で売り出されるのは火を見るより明らかです。
当然、普通の、一般庶民の香港ローカル人には高嶺の花過ぎて、購入への道のりは厳しいものとなるでしょう。
そのようなマンションのターゲットは、一般的なローカル香港人ではなく、ごくごく限られた香港のお金持ちや中国大陸からの投資民ということが暗黙の了解となっているからです。
それらの新築高級マンションは結局、香港ローカル人の「狭いアパートに家族5人以上で住まなければならない」ということへの解決策にはなっていないのが現状です。
中国大陸から大枚を握ってやってくる中国人の成功者は、200平米もあるような広々した新築の眺めの良いタワーマンションに、家族はそれぞれ一人一部屋を与えることができる、ゆとりのある悠々自適生活を始めます。
狭い部屋に追いやられた、地元の香港人とは対照的な生活がそこにはあります。
これからも、ますますその「人口密度」の「地域格差」は広がっていくことでしょう。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
香港の人口密度は20年強で100万人も増加しました。
そしてローカル民と新移民の貧富の格差がどんどん広がる中、ローカル民が苦しい生活を強いられていく様は、切なくなる思いがしてしまいます。
年々変わっていく香港の情勢。
弱肉強食・生き残りが厳しい香港の現状を如実に表しているのが、この人口密度と住居に関する問題だと感じます。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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