香港 中央政府

かつてはイギリス植民地だった香港は、中国南東部にある特別行政区です。

人口密度が高く、超高層ビルが林立する世界的な金融都市としても知られ、観光で訪れる方も多い人気の街でもあります。

この香港の「特別行政区」とはどのようなものなのかご存知でしょうか?

特別行政区とはどんなものなのか、中国との関係はどのような感じなのか、詳しく紹介します。

また、香港の人口密度事情が気になる方は以下の記事も合わせて確認してみてくださいね。

一国二制度による特別な自治区、それが香港特別行政区

香港特別行政区
「一国二制度」と聞いて、どのようなものを想像されるでしょうか。

一つの国の中に、二つの制度が存在する」、つまり、「Aという一つの国の中に、Bという違った司法行政立法の制度をとる特別区が存在する」、ということです。

香港は1997年に英国領土から中国へと返還されましたが、この返還を香港の大多数の人々は歓迎しませんでした。

英国式の統治下、資本主義の社会ではぐくまれた人々の思想観念は、社会主義的な背景を持つ中国の支配下になることを拒むのを当然としました。

そこで英国は、返還前に交わした中英共同声明に、「返還後50年間は、過渡期として、行政立法などの制度は英国式のままを採用し、更には金融分野においても、香港ドルという中国元とは異なる貨幣を引き続き採用し続ける」ことなどを盛り込み調印したのです。

その声明文の中において、「50年間は現状維持が守られる」ということに、香港人は若干ながらホッとしました。

しかし実際の香港の社会は、返還以降、急速飛びに中国化を進めていきます

今回はそのあたりを掘り下げてみたいと思います。

香港特別行政区における一国二制度のゆがみは政府から始まった

一国二制度

「50年間は英国の干渉が続き、香港ローカル人は守られる」と、思っていたのもつかの間、中国共産党は次々と始めに決めていた香港の自治体制に干渉を入れ、制度をどんどん強制的に変えていきます。

それを見かねた香港の学生が立ち上がり、自らの未来と、資本主義の自由が未来永劫続くような社会をみんなで守っていこうと政府に抗戦を仕掛けたのが2014年の「雨傘革命」です。

当初は、次期香港行政長官(香港特別行政区の中でのトップ)の選挙は普通選挙で行われるはずでした。

しかし、中国共産党の決議で、指名による選出でしか任命されないと可決され、結局、中央政府の政党以外からは出馬さえできないという事態に陥ってしまうという実情がありました。

しかも通常の香港人は票を持つこともかなわず、選挙への投票・反対候補への抗戦さえもできないのです。

選挙問題以前にも、義務教育中に中国共産党思想を植え付けるような教育カリキュラムが採用されたり、民間放送の始まりや終わりの映像に中国国歌を流させたり、という香港人にとって黙って見過ごせないような事々が、その当時、次から次へと目まぐるしく降ってわいていました。

香港人には「香港人」としてのプライドやアイデンティティーがあり、それは決して「中国人」になることを許さないものでした。

香港人、特に、瞳の輝きがまだ濁っていない若い人たちの間に、抗中国共産党思想たる考え方が主流になっていったのは当然といえば当然でした。

「自分たちの生まれた場所をこれ以上侵されたくない!」

そんな若者たちの叫びが起こしたムーブメント、それが「雨傘革命」だったのです。

香港の地盤は、中国にとって蜜の味

香港の地盤
英国領香港が築いてきた99年の世界でも有数の貿易港としての魅力や、オフショアで誘致をしているという「ヒト・モノ・カネ」の集まる地盤を、中国はなるべくそのままの形で引き継ぎたいと思うのは当然ですが、そこに住んでいる資本主義や民主主義の知恵を付けた賢者・香港人は疎ましい存在だったのかもしれません。

そこで、制度として金が集まる部分的な美味しいところだけはそのままにし、人を統治するシステムの方は中国共産党寄りにシフトしていくという、ゆがんだ形の進化を遂げていったのが、今現状の、香港特別行政区における一国二制度だと言わざるを得ません。

中国の日常と香港特別行政区の日常の違い

中国と香港

香港人がこのまま中国共産党の思想におぼれていくのを恐怖に感じているのは、中国国内における中国共産党の統治の仕方に感じる理不尽さからでしょう。

中国といえば、日本にもその実状がたびたび耳に入ってきます。

例えば、中国ではTwitterやFacebook、GoogleやYahooが見られません

インターネットを政府が規制しているからです。

SNSや検索エンジンから、世の中や世界情勢を知る、というのは、今や世界の常識ですが、中国本土内においては、「微博(ウェイボー)」というサイトがFacebookに代わり、「百度(バイドゥ)」というサイトがGoogleやYahooの代わりになっています。

そこには中国共産党の意図が大いに繁栄され、たとえ些細なことでも、中国共産党や人民解放軍について非難する書き込みなどが発見されれば、即座に削除されてしまいます。

英国領土時代に、資本主義・民主主義を体得してきた香港人にとって、それら思想の弾圧的な実状を甘んじて受け入れるわけにはいかない、と感じるのは当然のことと思います。

また、北京のような中央政府に近い場所は特に色濃く残っている習慣のようですが、中国国内では、人々がグループをなして結託することを、秘密結社と判断され、下手をしたら公安(警察)にマークされてしまうという恐ろしい常識があるそうです。

これは、天安門事件のような反政治勢力が育っていくのを制圧するための措置だとは思うのですがそれにしても、成熟した思想下で育った香港人たちにとって、「なんでグループ行動するぐらいで、公安にマークされなきゃならないのか」と過剰な思想弾圧に恐怖感しか覚えないでしょう。

それらのように、中国共産党化の中国本土の常識と、英国支配下にいた成熟した社会の教育を受けてきた香港人の考える常識が、あまりにもかけ離れています。

香港人は、自分たちの土地を中国からの流入者にどんどん蝕まれ、最後には「思想までも奪われるんじゃないか」と、日々恐怖を思って生活をしているのです。

どこへ行く、これからの香港特別行政区一国二制度

どこへ行く
英国領香港が中国に返還されてからわずか10年もせず、政府の自治制度がどんどん崩れていってしまった実状を踏まえ、更にその先の10年は一足飛びに中国化が進んできてしまった、といういままでの22年間でした。

香港の街の、かつての勢いが少しだけ失速しているように見えるのは私だけではないと思います。

街では普通話(中国標準語)が飛び交い、モノの値段は高騰しまくり、家賃の高騰により老舗の店舗が次々と閉店に追いやられる・・・そんな現状を20年前は想像ができたでしょうか。

「法や自治は守られ、資本主義や民主主義も守られる。自分が死ぬころまではずっと。」と信じてやまなかった返還当時の香港人たちが現状の香港を知ったなら「こんなことになるとは思わなかった」と、さぞ嘆くことでしょう。

今現状の「香港特別行政区一国二制度の崩壊」は不可逆的といえる状況ではありますが、その中でも、香港人の方々が、誇り高く、自らの「香港人」としてのアイデンティティーとプライドを維持していける社会が続くことを願ってやみません。

まとめ

香港特別行政区における一国二制度は、50年の時を待たずして崩壊寸前となっていますが、その中でも、香港人が少しでも長く香港人らしく生きていける時間が続けばいいな、と心から思います。

香港加油!

いかがでしたでしょうか?

またほかの記事もどうぞお楽しみください!

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